「奥さんが子供たちを連れて実家に帰っちゃった」
居酒屋で思い切り酒を吹き出した俺を、部長はニコニコと面白そうに見つめる。
はいおしぼり、と準備していたような手際のよさに、ひょっとしてそんなに深刻なことじゃないのかなとすら思ってしまった。
「いやいやいや!やっぱやばいでしょ部長!何したんですか!」
「うん?何もしてないよ。いつも通り」
流されそうになったけれど、やはりどう考えてもまずい状況に青ざめる俺とは対照的に楽しげな部長は、“いつも通り”がどんなものかを聞かせてくる。
「朝は朋ちゃんの作った朝ご飯を作って、代わりにゴミ出しは俺の仕事で、帰ってきたら子供たちとお風呂に入って」
「はあ…」
「あ、寝る前は毎日おやすみのキスを、」
「もういいッス」
知り合い夫婦のそんな赤裸々な話を聞きたくなくてさえぎると、部長がここからなのに、と唇を尖らせた。
「じゃあ、どうして出て行っちゃったんスか」
「出て行ってないよ」
「え?でも、実家帰ったんでしょ?」
「うん、帰ったね」
「…話が見えないッス」
眉間にしわを寄せてむむむと唸った俺に小さく吹き出した部長は、ようやく事のあらましを説明してくれた。
「義弟夫婦が旅行に出かけたんだ。お義父さんとお義母さんは彼らと住んでるんだけど、二人を残してじゃ何かと不安だろう?それで朋ちゃんが、久々にお父さんたちとゆっくりしたいからって留守番をね」
「お子さんたちは、」
「お泊まりが魅力的だったみたいだよ」
みんな明日には帰ってくるけどねと笑いながら酒を口に含んだ部長に脱力する。
「言い方が悪いッスよ部長ー…」
「“奥さんが子供たちを連れて実家に帰っちゃった”…言葉通りだろう?」
「そうッスけどー…」
まるで離婚直前のようで心臓に悪かったという前に、部長の携帯に着信が入った。
ちょっとごめんと言って電話に出た部長は、見る見るうちに破顔する。
電話から漏れる声が意図せず耳に入ってきて、おまけにその内容もまた内容だ。
『子供たちがお父さんの声が聞きたいって聞かないんですよ!』
「やっぱりこっちに置いてきた方がよかったんじゃないかい?ゆっくり出来てる?」
『ええ、それはまあ大丈夫ですけど』
『お母さん、お父さんと代わってよう!』
『お母さんばっかりずるいー!』
『はいはい、すぐ変わるから』
「朋ちゃん」
『なんですか?』
「声が聞きたかったのって、子供たちだけ?」
後輩の隣で堂々とノロケ始める部長に、ぐいと酒を煽って目を閉じる。
あーあーあー、聞こえない聞こえない。部長の愛しさ全開の笑い声とか、電話越しに両親をはやし立てるお子さんたちの声とか、何にも、何にも聞こえない。
離婚直前のようで心臓に悪かった先程のことなんてもう忘れた。
今はもう、心配して損したとむくれて隣席の長電話が終わるのを大人しく待つだけだ。
fondly
(ちくしょー、今日は飲んで飲んで飲みまくってやる)
両親がのろけてましたので
(110909)