コンコン、と控えめなノックで中にいるであろう人物にお伺いを立てた鳳は、返事がないことを確認するとそっと扉を開いた。
中では部屋の主である宍戸がベッドの上で寝息を立てており、予想通りの光景に鳳は目を細める。
昨晩帰りの遅かった宍戸は、随分仕事が立て込んでいたらしい。それでも今日一日を自分に割くため何とか都合をつけてくれたのだから、やっぱり宍戸さんは俺に甘いよなあ、と鳳はうぬぼれを強めざるを得なかった。

9月29日は宍戸の誕生日である。
鳳は宍戸に、29日のあなたの時間を全て俺にくれませんかとお願いしていた。
あなたの生まれた日にずっと一緒にいたいと言う鳳に宍戸は恥ずかしいことを言うなと耳まで赤くして怒ったが、最終的には頷いてくれて。
29日だけじゃなくて、とっくに全部あげたつもりだったんだけど、とじっとりとした目で見上げられ、おまけにお前はちげえの、とまで言われれば鳳もコクコクと首を縦に振ることしかできなかった。俺の時間も、全部、宍戸さんのものです。噛みしめるように告げれば、ん、と満足げに笑うものだから、敵わないなあ、と鳳も笑った。

だから今日は――今日も――宍戸の時間は全て鳳のものなのだ。
これではどちらが誕生日かわからないと鳳は苦笑する。嬉しいプレゼントを貰ってしまったのは自分の方だ。
ノックくらいで夜の遅かった宍戸が起きるとは思わなかったが、起こすかもしれないと思えばそれもためらわれた。それでも鳳には許可も取らずに宍戸の部屋に入ることなどできず、ジレンマにおちいりながらも結局小さく戸を叩く。
鳳にとって、今日という日は神聖な一日だ。どんな些細なことでも不誠実な行いはしたくない。

ベッドの縁に腰掛けると、未だ夢の中にいる宍戸の頬をそっと撫でた。中学時代、連日太陽の下で部活に励んでいたときに比べれば幾分落ち着いたが、体育教師をしている宍戸は今でも小麦色の肌だ。対する鳳はほとんどを室内で過ごすようになって随分日焼け跡もなくなった。音楽教師の鳳は大半の時間、防音設備の整った音楽室の中にいる。それでも楽器を奏でるとき以外は窓を開放する理由が、外から聞こえる体育教師の威勢のよい声を聞くためだと宍戸は知っているのだろうか。

「宍戸さん」

穏やかな声は眠っている宍戸を配慮してなのか、胸の奥の静かな気持ちを表しているからなのかわからない。

「宍戸さん、誕生日おめでとう」

鳳は宍戸の頬に置いた手を滑らせ、大切なものを扱うように手のひらで包み込んだ。片手では愛しいものなどとても守りきれないと、両手を添える。

「宍戸さんに会えて、俺本当に嬉しいです」

目を細めて宍戸を見た。中学からずっと見てきたその顔はもう子供のままじゃなくて、今では立派な大人の顔つきだ。
それを寂しく思うことはない。だって、その成長の過程すら自分は見つめてきたのだから。

「宍戸さんの誕生日なのに、俺のわがままを聞いてくれてありがとう。きっとこれからも、俺はずっとわがままを言って宍戸さんを困らせるだろうけど。ごめんなさい、離してあげられそうにないです」

頬を慈しんでいた指が宍戸の唇をなぞる。何も言わせまいとするように口唇に人差し指を跨がせ、指先で上唇をくすぐった。

「だから…――宍戸さんが離せって思わないような、離れたいと思わないような俺でいられるよう、頑張りますね」

鳳は、いつまでも宍戸と釣り合う自分になれる気がしない。
だって宍戸は鳳にとって、まるでカミサマのような存在で。
だけど鳳は、カミサマの隣にいたいと思っているわけじゃないから。
追いつけないカミサマじゃないと知っているから、鳳も努力を続けられる。

「宍戸さん、大好きです」

そうして鳳は宍戸の頬にキスを落とした。まぶた、頬と唇を滑らせて、だけど肝心な部分には口づけずに立ち上がる。

「続きは、起きてからにしましょう?朝ご飯が冷めちゃいます。15分で支度してきてくれると嬉しいんですが」

クスリと笑って鳳は宍戸の部屋を後にした。上機嫌な足音が去っていくのを聞きながら、宍戸は目を閉じたまま赤くなる。

「気付いてんじゃねえか…」

知ってたんだろ、起きてたって。
宍戸はぐるんと寝返りを打って壁に顔を向けた。果たしてあと15分で、頬の熱は治まるだろうか。

グッドモーニング
(天気もいい気分もいい。あなたの誕生日に相応しいよい朝です)


宍戸さんお誕生日おめでとうございます!
(120929)