珍しいものを見た。
バスに乗った瞬間、日吉はそう驚きに思わず動きを止めた。
二人掛け席、窓際の座席で滝がガラスにもたれかかるようにして目を閉じている。
眠っているのだろうか、バスのエンジン音を気にする素振りも見せず身じろぎ一つしなかった。

日吉は乗車券を抜き取り、彼に釘付けだった目線を何とか外し車内を見やる。
通勤通学ラッシュではない時間はバス内の人もまばらで、一人掛け席も二人掛け席も空席がちらほら、立ってるのは女性が二人。
この女性二人組を日吉は何となく不思議に思った。
多少潔癖の気のある日吉は、誰が座ったかもわからないシートに腰掛けることにいささか躊躇を覚える。だから座らないことは何らおかしなことではないのだが、先程からちらちらと滝の方に意味ありげな視線を送ることが気になった。
とはいえ、意味ありげな視線はあくまで“ありげ”で。日吉はあまり深く考えずに滝の後方の一人掛け席に腰を下ろそうと歩を進める。
――と同時に耳に入ってきた言葉に動揺した。

「…ね、かっこいいよね」
「片側座っちゃだめかな」
「やだあ、私も隣座りたい」

小声のそれは、イヤホンをつけ携帯をいじる他の客の耳には届かなかっただろう。
だけど移動時に音楽を聞かない日吉には、その声は確かに聞こえた。日吉はイヤホンをつけたまま行動することがあまり好きではない。不意の事態に対処できないし、注意力も散漫になるのがどうにも心地悪かった。
そうして今まさに、日吉は耳を塞いでしまっていないでよかったと思っている。

滝の後ろの席に入れかけた身体を通路に戻し一つ前に腰を下ろす。たくさん席があるのに滝の横に座った日吉を不思議がるように女性らが見たので、見せつけるように隣に声をかけた。

「――萩乃介さん」

名を呼んだ日吉に、女性たちは知り合いだと納得したらしい。わずかに残念そうな表情をしたもののそのまま視線をそらす。
瞳を閉じたままの滝の手が日吉の手にそっと重なり、日吉は驚きに目を丸くした。それを咎めるように握りしめられる。
了承を伝えるように触れる手に力を入れ、それからは何事もなかったようにぼんやりと前を見ていた。



女性客二人が下車すると、車内はシンと静かになる。
目だけで辺りを確認してから、日吉はようやく口を開いた。

「…滝さん、起きてるでしょう」

じっとりとした視線を感じたのかは定かではないが、ゆっくりとまぶたを押し上げた滝が美しく微笑む。――まるで寝起きとは思えない。

「もう彼女たちは降りた?」
「一つ前で下車しましたよ」
「よかった。会話が筒抜けなんだもの、気まずいったらないよね」
「そう言ってあなた面倒だっただけでしょう」

ぴしゃりと言い放てば、ひどいなあと肩をすくめられる。腕を伝い震えた手に、これ、と今度は日吉から結び目を揺らした。

「何だったんですか、これ」
「日吉こそ、何だったのさ、あれ」

論点をすり替えるのは滝の十八番だけど。
今回は話題が少し不利だ。
思い当たる節に、それでも平然を装ってとぼけてみるも。

「若」
「…?!」
「って俺も呼ぼうかな、今度から」

ニコニコと半月型に目を細める滝は、本当に意地が悪い。
始めから起きていて、滝を見つめる彼女らに当てつけのように名を呼んだことを知っていて、それなのに。

「何だか手のひらが温かくなってきたね、若」
「…うるさいですよ」

こちらの胸の内なんてとっくに見透かしているくせに。
わざとらしく首を傾げ笑う滝に、勝てないとわかりながらも手に力を込め握り返した。
咎めるサインは了承された。

コネクト
(バスの中なら安心して繋げるよね)

滝さんはぴば!尻切れトンボ!
(121029)