朝から何だか違和感はあった。
どこかが痛むわけでも、特別不調なわけでもなく。ただ漠然と感じていたそれは、確かに高尾の中にいた。けれども逆に言えば、不自然な感覚こそするものの、頭痛がしたり調子が悪かったり、そういう一目でおかしいとわかる何かがあったわけではなかった。
だから、気にしなかったのだ。
高尾は違和感に首を傾げつつも追求することはせず、その日も緑間を迎えに家を飛び出した。

 ***

「…にしても、珍しいね。真ちゃんが歩いて帰るなんてさー」

部活後に肩を並べて帰路につくなどいつぶりだろう。
帰り際緑間がリヤカーへの乗車を拒んだときは衝撃を受けたが――あまりに驚いて、自転車のハンドルに手を置いたまま固まってしまった――寄りたいところがあるのだよ、と苦虫を噛みつぶしたみたいな表情を浮かべる緑間を見て納得した。どうやら狭い道を行くようで、本人としても徒歩という選択は不本意だったらしい。

「しっかし、寒いねえ」

ぶるりと身体を震わせた高尾は、手を温めるようにポケットへ潜り込ませた。
指先に触れた布にふと朝の出来事が思い出される。

今日は朝から時間がなく、高尾は慌ただしく家を後にした。急ぎ気味で靴にかかとを押し込めていたときに、可愛い妹が、お兄ちゃん、忘れ物だよ、などとハンカチを渡してきてくれたものだから、思わず笑顔でそれを受け取りポケットへ仕舞った。反対側のポケットにすでに一枚持っていたことなどとても言えなかった。
そんなわけで、高尾は今チェックのハンカチと無地のハンカチ、二枚を所持しているわけである。

「ところで、真ちゃんまじでリヤカー置いてきてよかったわけ?」
「どういう意味なのだよ」
「だってここ、何とか荷台通りそうだし」

道幅を目測するように視線を向けた高尾に、緑間が少しの沈黙ののち、いいのだよ、と答えた。
まあ真ちゃんがいいならいいんだけどさ、と高尾も同調する。確かに荷台は通るけど、通行人の妨げにはなるかもしれない。
ああ、それとも。

「もしかして、今日のおは朝で歩くといいことがーとか言ってたの?」
「……は?」

一瞬緑間がぽかんと呆けたので、高尾もつられて瞬いた。
緑間がおかしな行動を取るのは、ほぼ百パーセントおは朝占いの影響だと高尾は知っている。だからこその問いかけだったのだが、当人は思いもよらなかったという風だ。
不意に緑間が我に返ると、何かをためらうようにゆっくりを口を開く。

「…お前、今日のおは朝は見ていないのか?」
「え?お、おう。何か今日朝からバタバタしちゃって」

高尾が緑間に合わせて朝から占いを見ていることは彼も知っていた。
強制されたわけではないが、緑間が日課にしているのだからと高尾も毎日欠かさずチェックしている。見損ねた今朝の方がイレギュラーであった。

「…そうか」

見忘れたことを怒ったのではと高尾が恐々顔色を窺えば、意外なことに緑間はホッとしたような――高尾にはそれが、口下手な彼が良い口実を見つけたときの表情みたいに感じた――様子を見せる。
まだ迷いの混じった瞳は、緑間がふるりと頭を一振りした後にもう消えていた。

「急ぐぞ、高尾」

 ***

寄り道をするだけでも随分驚いたのに、その場所がドラッグストアだったものだから、高尾はますます疑問を深める。
果たして、緑間はどこか調子がおかしかっただろうか。自分が見ていた限りではそんなことなかったと思うが、いかんせん今日の高尾は自分でもわからない違和感との格闘にたびたび意識を持って行かれていたので、彼の些細な変化を見逃してしまったのかもしれない。
高尾は店に入るや否や緑間にカゴを借りてくるよう言い付けられ、おまけに持ってきたらもう会計は終わったとのたまわれたので、結局彼が何を買ったのかわからず仕舞いであった。
しかし買い物の早さから何か目的があったことは確かなようだ。そこで高尾ははてと首を傾げる。

「…で?結局真ちゃんは何買ったわけ?」

再び帰路へ戻ったとき、頃合いを見て話を切り出した。
正直、緑間の買った物に非常に興味がある。しかし高尾はそれを感じさせないように努めて軽い調子で問うた。

「…じきにわかる」
「えー」

高尾の求めていたようなはっきりとした返答は得られなかったが、緑間がそう言うのだから近いうちに教えてくれるのだろう。
高尾はあきらめて、話題を他のものへと移ろわせていった。

緑間を家まで送ったのち、玄関で別れ際高尾は件の買い物袋を手渡され瞬く。

「え?何真ちゃん」
「お前の、今のラッキーアイテムなのだよ」
「俺の?」

そんな、今日も半分以上終わったというのに。
今からでも運を補正しないといけないくらい今日の自分は腑抜けていただろうか。
そのような考えが顔に出ていたのかは定かではないが、緑間が焦ったように早口でまくし立てた。

「別に貴様が不調だろうと何だろうと全く構わんのだが、部活に差し障ると困るのだよ」
「へ、」
「はやく、なおせ」

包帯を巻いていない方の緑間の手がそっと高尾の額に触れる。
あ、冷たい。特別暑かったわけでもないが、ひんやりとした感覚が心地よくて目を細めると、途端に緑間がうろたえたように目を泳がせ出した。すぐに思い当たる節を見つけ笑う。

「別にキスはねだってないぜ?」
「、このばかが!!」

そんなことを考えていたわけではないと、次は弁解に大慌てな緑間に堪え切れずに吹き出した。拗ね始めそうな気配に笑顔のまま謝るもあまり効果はなかったようで、緑間はそっぽを向いたままである。

「ごめんごめんって、真ちゃん」

未だに笑い声の混じる謝罪をしながら緑間の顔を覗き込むと、予想とは違う表情をしていた。

――え。どうしたの真ちゃん。そんな顔赤くして。
問う前に緑間が口を開く。

「帰ったらすぐに体温を計れ」

「お前の今のラッキーアイテムはきちんと使うのだよ」

「明日には本調子になっていなければ許さん」

3つ、言うだけ言って緑間はくるりと踵を返した。そのまま歩いていってしまった緑間をぽかんとして見送り、もう聞こえないほど遠くになったところでようやく我に返る。あ、じゃあね真ちゃん。独り言のように挨拶したあと、高尾はのろのろと玄関をくぐった。
まずは言われた通り体温計を脇に挟む。

「……げ、」

体温を計れと言われた時点で予想はついていたけど。平熱をはるかに上回る数値に顔をしかめる。
久しく風邪なんて引いていなかったから全く思いもよらなかったが、思い返せば数々の違和感はどれも風邪の症状だ。
がさり、とビニールの袋から顔を出した風邪薬に高尾は苦笑を禁じ得ない。これを渡す際の緑間を思い出すと、どうやら風邪薬は本日の自分のラッキーアイテムらしかった。
それは、なんと都合のいい。

一体誰に都合がいいのだろう。
風邪を気づいていなかった自分に?――高尾が風邪を引いていることに気づいていた緑間に?
見舞いの品代わりに風邪薬をラッキーアイテムと言って手渡すことは、なんと体のよい口実か!

「…おは朝すげえ。てか真ちゃんがすげえ」

おは朝信者の緑間であるが、高尾には、緑間がおは朝を信じているのではなく、おは朝が緑間の後押しをしているようにしか思えない。
人事を尽くせばこうも天は味方するものなのか。

それでも、自分ですら気づかなかった体調に緑間が気づいてくれたことは、申し訳なさもあるもののやはり嬉しい。
にやける顔を何とか引き締め、さっそくラッキーアイテムを飲むかと立ち上がる。水を用意しにリビングに顔を出すと、妹が挨拶をしてくれた。

「おかえり、お兄ちゃん」
「ん、ただいまー」
「ラッキーアイテム、どうだった?」

ん?と首を傾げる。ラッキーアイテム?緑間に貰った風邪薬はまだ飲んでいないが、しかし妹がそれを知ってるはずはない。
コップに注いだ水を手に、笑顔のまま、それでも疑問はありありと顔に表れていたのだろう。妹もこてんと頭を倒した。

「あれ、効果なかった?今日のおは朝、蠍座のラッキーアイテムはチェックのハンカチだったんだけど」
「へ、」

チェックのハンカチ?
高尾は先程までの緑間の様子を思い出した。徒歩であることを挙動不審な態度で肯定していたこと、おは朝を見忘れたことを伝えたときの呆けた表情、戸惑い、そして決心の目つき。
今のラッキーアイテムなのだよ、と言った声を思い出す。今の。今日の、ではなく?

「…お兄ちゃん?」
「…あー…兄ちゃん、熱上がってきたかも」
「お兄ちゃん風邪引いてたの?」

そうみてえ、さっき教えてもらったんだけどな。
返事は風邪薬と一緒に飲み込んだ。冷たい水が、頬の熱も冷やしてくれたらいいのに。この情けない顔色を、可愛い妹に見せられるものか!

君のこと先にわかる。
(気づくのも、考えるのも、君より少し先にわかる)

みまちばちゃんへプレゼント!遅くなってごめん
(121221)