少し汗ばみ出すこの時期は、梅雨を意識する前から夏を考えさせられる。
 テレビを出ると張り詰めていた気持ちがホッと緩んで、肩を揺らして息を吐いた。空調の効いたジュネスは人工的な冷たさに満ちている。かき氷が食べたいかも、なんて気持ちがちらりと浮かんではすぐに拡散した。

「じゃあ、今日もみんなお疲れさま。また明日頑張ろう」

 先輩の一言を受けて、みんなが思い思いに言葉を漏らす。今日大変だったね、大活躍だったね、お前あそこ危なかったよなと話しながらエレベーターを目指す集団から、先輩が私を呼び止めた。

「りせ」
「ん?」
「少し付き合ってくれないか」

 帰路の方向的に、普段は完二と一緒に帰る。みんなじゃなくて、完二とセットでもなくて、花村先輩でもない、“私”が呼び止められた事に驚き、少し遅れて喜びがせり上がってきた。

「えーやだあ先輩。直々にご指名? しょうがないなあ」

 わざとらしくしなを作り、先輩の元へ駆け戻る。しょうがないなんて建前にもならない建前は、先輩もみんなも、完二だって気づいている。私が“ピンチの時に颯爽と駆け付けてくれたかっこいい先輩”をいい感じに思っていることはこのコミュニティでは周知の事実だったし、本気で熱を上げているわけではないのもまた然りであった。そうじゃないと、千枝先輩も雪子先輩も見逃してくれるはずがない。
 全く罪作りな人だなあと頭の隅で考えながら、先輩を見上げると、先輩も何故だかこちらをじっと見ていた。

「…? 先輩? どうしたの?」

 私を凝視していたことと、呼び止めてまで話したかったこと。その2つを問うように首を傾げると、うん、とどちらへの返事かわからない頷きが返る。先輩が爪先をエスカレーターの方へと向けた。

「菜々子にお土産を買って帰ろうと思って。最近、帰りが遅くなってばかりだから」

 よければ一緒に選んでくれないか、と後者の問いに対する返答を受けここ数日を振り返れば、確かに連日テレビの中へ入り放課後を潰していた。菜々子ちゃんの門限は5時と聞いている。なるべくおかえりって出迎えてあげたいんだとはにかむ先輩に、お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなと少しだけ菜々子ちゃんを羨ましく思ったのは昔の話だ。
 家電売り場から食品売り場へ場所を移し、夜に食べても平気そうな――カロリーも低く虫歯にならなさそうな――お菓子を選んであげた。おやつの時間に先輩が家に帰ることは適わない。それなら、少し遅くとも夜に2人で食べる方がずっといいだろう。先輩は真剣な眼差しでお菓子を見ていて、ふとそんな先輩を眺める私の視線に気づいてばつの悪そうな顔をした。

「…りせ」
「ふふ、だって先輩すごく一生懸命なんだもん!」

 たしなめるように私の名前を呼んだ先輩が、売り場の棚の上に目を滑らせる。「りせはどれが好きなんだ?」尋ねられるままに私は好きなお菓子のひとつを手に取った。チョコレートケーキを模したそれは商店街には売っていない商品だ。

「ああ、おいしいよな。菜々子も好きだ」

 そう笑った先輩は、私の手からそれを抜き去るとレジへと向かった。

 レジまでの道のりでドリンクのコーナーを抜け『後光のお茶』を2本手にした先輩は、帰り道、自然な動作で車道側に立った。付き合ってくれたお礼と先程の紅茶を貰い慌てる。あのくらいどうってことないし、お礼を貰うほどじゃない。

「菜々子もおじさんもミルクティー飲まないんだ。嫌いじゃなければ貰ってくれないか」

 しかし、眉を下げてそう窺われると断れるわけもなかった。ありがとうございますと受け取った私に、先輩はまた「うん」と笑う。

「それに、最近りせはすごく頑張ってるから」

 ぱちくりと思わず瞬いた。

「…へ?」

 咄嗟に出た声が間抜けでしまったと思う。けれど先輩は気にした様子もなく、頑張ってるよ、とさらに重ねた。

「現場にいれば他のどのメンバーのフォローも出来るけど、りせの探索能力は俺じゃ支えてやれないから。慣れなくて大変だろうに、りせは本当によく頑張ってくれてる」
「そ、そんなこと…」
「あるよ。本当ならしばらくはクマにサポートしてもらいたいんだけど、今は張り切って前線に出たがるから」

 先輩が、私のことをそんなに考えてくれていたことにびっくりした。
 確かに、慣れないペルソナに慣れないテレビの中。探索型ペルソナの手本となる人は誰もいなくて、前任のクマが最もそれに近いことから何かと手助けをしてくれようやく探索が出来ているのが現状だ。
 だからクマが前線へ行くと心細さを感じることは事実で、でもそれも、今の先輩の話を聞けばひとつ思い当たる点があった。

「じゃあ、最近前のダンジョンによく行くのは…」

 新しい場所の探索を進める時はクマを残して、以前みんなのシャドウと戦ったというダンジョンへ――みんなが若干引け腰になりつつも――行く時には、先輩はクマを前線メンバーへと指名する。あれはもしかして、まだひとりでのナビが心もとない私とやる気満々のクマ、両方を配慮した結果なのか。
 私に場数を踏ませるため、そしてクマの気持ちも汲んでやりつつ、私のサポートをしてもらうために?

 確信めいた考えに先輩を見やるも、先輩は何も言わずに目を細めるだけだった。
 いたわるような眼差しを私に向けたまま口を開く。

「りせは頑張ってるよ。ご褒美をあげないと神様に怒られちゃいそうなくらい」

 差し出されたのは、先程好きだと言ったチョコレートケーキの形をしたお菓子だ。

「お疲れさま、りせ。明日も頑張ろうな」

 みんなにではない、私にだけ向けられた労いの言葉、励まし、そして笑みに頬が熱くなるのがわかる。
 いつの間にか、家の前だった。先輩は踵を返して「また明日」と微笑むと来た道を戻っていった。

好きにならないはずがない
(先輩って、本当罪な人!)

りせ誕生日おめでとう!
診断メーカーより「貴方は6月1日の主りせで『好きにならないはずがない』をお題にして140文字SSを書いてください。」

(140601)