一十木音也の誕生日は、他人に興味を示さない一ノ瀬トキヤだって知っていた。出会い頭の自己紹介で声高らかに4月11日生まれなのだと主張されれば、トキヤの優秀な脳は少なくともその後2週間程度――つまりは誕生日当日まではばっちり記憶していた。
 誕生日だと知る男におめでとうの一言もくれてやらなかったのは、トキヤ自身がまったくめでたいことだと思わなかったためである。めでたいのはこの男の頭くらいで、ねえねえトキヤトキヤと何かと話しかけてきてうるさいわ、そうじゃなくても一人でかしましいわ、ジャカジャカと鳴らすギターはめちゃくちゃで耳障りだわで、トキヤはこの男とこれから1年も過ごさなくてはならないことにうんざりしていた。
 ただ、トキヤの誕生日である8月6日頃には少しだけ打ち解けていたので、音也に誕生日を祝われたトキヤはおめでとうくらいは言ってやっていてもよかったかなとちょっと反省していた。まさかHAYATOとしての仕事が忙しくなかなか部屋にも帰らない同居人を、たまにいたと思ったら小言しか零さぬ(これは音也が使ったものを元の位置に戻さなかったり、課題がわからないと教科書を読めばわかるような問題で泣きついてくるから言うはめになるのだが)同居人を、こんなにも楽しそうに、喜ばしいことのように祝うなんて。トキヤの好きそうなものってなんかこだわりありそうだし、俺が好きなものにしたんだ。そう言って渡された誕生日プレゼントは確かにトキヤの趣味とはちがっていて、自分ではなかなか買わないタイプの物だったけれど、今も大切に机の引き出しに仕舞われている。
 記憶をさかのぼれるだけ戻ってみても、トキヤは友人と呼ばれる存在に誕生日を祝ってもらったことがなかった。さらに言えば、家族、両親からもあまり特別なことはしてもらわなかった気がする。覚えがないというのは、つまりはそういうことなのだろう。だから音也からの誕生日プレゼントは、祝いの言葉は、それと一緒に向けられた笑顔は、トキヤにはむずむずとしてこそばゆいもので、それでもすごくすごく嬉しいものであった。
 祝ってもらって自分は何のお返しもしないのは失礼だろうと、あなたの誕生日は4月11日でしたねと確認すれば、音也は大袈裟なくらいに驚いて、トキヤ覚えててくれたの?! と目を真ん丸にさせた。音也がまるで誕生日当日に祝ったみたいに大喜びするものだからトキヤは不思議だった。なんで、そんなに。そこまで。何を、何に、喜んでいるのか。

 それから1ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、卒業オーディションも無事に終了して、迫る4月11日に焦りを感じ始めていた頃、トキヤはもう義理やお返しなんていう気持ちで音也の誕生日を祝おうなんて思っていなかった。ただ祝わせてほしかった。喜んでほしいと考えていたし、日頃の感謝や、改めて好意も伝えたかった。
 その頃すでにトキヤと音也は恋人同士になっていた。紆余曲折あったその話は、今は振り返らないとして。トキヤは音也を好いている。だから、喜ばせたい。喜んでほしい。けれども今まで友達に誕生日を祝われた経験さえない人間が、友人、ましてや恋人の生まれた日を祝ったことなどもちろんあるわけもなく、すっかり途方に暮れていた。何か特別なものを上げられたらと思うものの、高価なものを見れば見るほど何だかちがうような気がしてくる。お金を出し渋るつもりなど毛頭ないが、果たして音也が喜ぶだろうかと考えると頭を抱えた。お金で買える特別なものも難しいが、金銭の関わらない特別なものはもっと難しく、ますますトキヤを悩ませる。音也の好きなもの。歌、ギター、カレー、サッカー。歌やカレーなんかは、確かにプレゼントできそうだけど。そうして実際音也は喜んでくれるだろうけど。でも、それって普段とどうちがうんだ。誕生日だからと、特別な何かになるのだろうか。
 ギターやサッカーボールは思い入れのあるものをずっと使っていることはトキヤも知っていた。音楽関係の物は、これからプロになるのだから自分で合う物を探した方がいいに決まってる。もう堂々巡りだ。
 堂々巡りだったのだ。それなのに、やってきた。4月10日、あと少しで翌日――4月11日だ。



「……音也、もう寝ましたか」

 おやすみなさい、と就寝の挨拶は済ませたものの、今日に限っては寝付けるわけもなく。トキヤからの問い掛けに、音也は布団の中で身をよじらせた。ううん、起きてる。なるべく平静を装ってみたが、うまく返せただろうか。
 だって、今日は自分の誕生日だ。日付の変わった今、本日はもう11日。いつもなら床についたあとは話しかけてこないトキヤが(自分が先に寝てしまうせいかも知れないが)控えめに、だけど返答を求めるようなことを呟いたのだから、期待しないわけがない。

「その…誕生日、おめでとうございます」

 “誕生日おめでとうございます”
 その言葉がトキヤの声で頭の中をぐるぐる駆け回る。うれしい。今年はトキヤがいちばんはじめに音也の誕生日を祝ってくれた。何番目だろうと嬉しいものは嬉しいけれど、やっぱり特別な感じがした。もしかして、布団に潜り込んでからも息をひそめて日付が変わるのを待ってくれていたのだろうか。音也のために。トキヤが、誰でもない自分のために。
 ありがとうと叫び出したいところを、トキヤにうるさいと叱られてしまうことを考慮し暗がりの中トキヤにそっと返事して、そうして音也はあれ、と思う。自分はすっかり浮かれていたけど、トキヤは何だか元気がないような気がした。

「…トキヤ?」
「プレゼントを、用意しようと思っていたのですが…何分そんなことをした経験がないもので、結局、何も…」

 嫌にか細く聞こえるのは、いつも自信に溢れているその声が頼りなく震えているからか。
 申し訳なさそうに、情けなさそうに謝るトキヤに音也はそうっと布団を抜け出す。トキヤ、そっちのベッド行ってもいい? 尋ねても返答はこなかったが、トキヤの沈黙は肯定を示すことが多いのを音也はもう知っていた。布団をめくり、自分の身体を滑り込ませる。

「…トキヤはさ、俺の誕生日、いっぱい考えてくれた?」
「はい?」
「俺のこと、もうすっげーたくさん考えて、悩んでくれた?」
「あ、当たり前ですよ! 何を上げたらあなたが喜んでくれるのか、最近は寝ても覚めてもそればかり考えていて…」

 ぎゅっと抱き着いた腕は振り払われることもなく、逆にトキヤの方から回した腕をきゅ、と掴まれる。当然だと返った言葉に音也はまた嬉しくなったのだけどトキヤにはまったく伝わっていないようで、それがひどくもどかしかった。

「俺、そんだけで十分すぎるくらい嬉しいよ。トキヤが俺のこといっぱい考えてくれたってのが、すっごい嬉しい」
「で、でも、そんなの、」
「遠慮でも何でもなくてさ、俺、トキヤがくれるものなら何だって絶対嬉しいし、大事にしたいって思うと思うんだ。……トキヤだって俺が上げたの、大切にしてくれてるだろ? 俺とお前の好みが全然ちがうの知ってたけど、それでも、多分喜んでくれたんじゃないかなって思ってるよ」

 音也の言う物が何を指すのかわかって、トキヤは思わず身体を硬直させる。ばれてる。何もかも。確かにトキヤは音也からの誕生日プレゼントに心から喜んだし、今でも大切にしている。けれど自分が渡す立場になったとき、本当にそれでいいのか、喜んでもらえるのかと不安になったのだ。
 トキヤが未だ考えあぐねているのに気づき、音也がもう、と頬を膨らませる。トキヤは何でも難しく考えすぎなんだよ、なんて眉間をつつかれたものの、あなただからこんなに考えているのでしょう、とはさすがに言い返せなかった。

「じゃあ明日…あ、もう今日か、今日起きたら、一緒に買い物行こうよ」
「…誕生日プレゼントをですか?」
「んー、トキヤがあんまり悩むようならそれもね。俺はデートがしたいだけだけど」
「で…」
「デート」

 デート。言葉の響きに少し照れて言い淀む。音也に確認のように繰り返されて、何度も言わなくていいですと額をはたいた。
 誕生日プレゼントを当人と買いに行くのは何だかルール違反なような気もしたが、音也がそれでいいと言ってくれるのならそうしたい。自分一人ではずっと考え込んでしまうだろうし…デートというのは、恥ずかしくもあるが心惹かれる響きだった。

「あ、でも、明日起きたらすぐ欲しいものがあるんだ」
「…何ですか」

 不意にねだられ緊張に身体を強張らせる。朝一で欲しいと言われても、今から用意できるものなのだろうか。おまけに今トキヤは音也に抱き着かれいて、この状態を自ら解くのは多少もったいなく感じた。トキヤだって好きなひとの温もりは心地好く思うのだ。
 しかしそうも言ってられない。本人からリクエストされるのなら、何が何でも準備してあげたかった。名残惜しく思いながら音也の腕の中から抜け出す決心をする。

「あのね」
「…はい」
「朝起きたらいちばんに、もう1回おめでとうって言ってほしいんだ」

 トキヤはぽかんと音也を見た。少しはにかむように音也もトキヤを見ていた。

「だめ?」
「いえ、構いませんが…それだけですか?」
「それだけなんかじゃないよ! トキヤ、俺が朝起きたときに隣にいたことほとんどないし…」

 呟くみたいに出された後半の言葉は、聞かせる気などなかったかのようだったけど。トキヤはハッとした。確かに言われてみればそうかもしれない。HAYATOとして忙しく過ごしていた朝、音也と共にいて挨拶を交わせた日はいくつあっただろう。

「…わかりました」
「本当?!」
「ええ、約束します。明日はあなたが目を覚ますまで隣にいますし、いちばんにもう一度祝わせてください」

 音也は大喜びでトキヤを抱きしめる腕の力を強めぎゅうぎゅうと抱き着く。うれしいうれしい、ありがとうトキヤとしきりに繰り返す音也に、こんなに喜んでくれるならもっと早く朝を一緒に過ごせばよかったと少し後悔した。だけどこれからは、今日からは過ごしていけるはずだ。互いに仕事も増えるだろうし毎日とはいかなくても、音也がしてほしいというのなら、トキヤは何度だって共に朝を迎えたい。

「ほら、もう寝ましょう」
「はあい、おやすみトキヤ」
「おやすみなさい、音也」

 トキヤが、もう自分のベッドに戻りなさい、なんて野暮なことを言わなかったから、音也もそのまま目を閉じた。嬉しさにすっかり目は冴えてしまっているが、眠ることをもったいないとは思わなかった。
 だって、音也のしあわせな朝はもう保障されている。
 この眠りから覚めたとき、真っ先に目に入るひとを思い浮かべて、音也は最高に幸せな気分だった。

しあわせな朝がくれば

(120411)