11月も半分が過ぎ、今年の終わりが見え始める時期が黒川柾輝の誕生日だった。
 クリスマスツリーの点灯式があちらこちらで行われ、ケーキ屋はクリスマスケーキの予約で賑わう季節。何か贈り物を買えば自然と「メリークリスマス!」のシールが貼られてしまうこの時期は「プレゼント用で」の前に「誕生日」とつけなければ勘違いされてしまう。クリスマスの贈り物はそれはそれとしてするけれど、やはりまずは目前の記念日からだろう。
 この日を日本で過ごすことにもすっかり慣れた今日、翼はアイスクリーム屋であらかじめ予約していた品を受け取ると、そのまま足早に柾輝の家へ向かう。翼は車を所持していなかった。1年の大半をスペインで過ごす彼に日本で自動車を持つ理由は少ないし、運転免許も違うことを考えればデメリットの方が大きい。更新は面倒だし自動車の維持費は馬鹿にならないし、どうせ日本での運転に慣れた頃にはあちらへ戻ってしまう。そうしてまた帰国した時にはまた一から感覚を取り戻すことになるのだから堂々巡りだ。
 だから翼が日本にいる間は柾輝が運転手を務めているのだが、今日ばかりは足としてこき使うわけにもいかなかった。

「ただいま」
「おかえり、早かったな」

 あ、部屋の中はちょっとあったかい。
 あらかじめ伝えておいた時間より少し早めに到着した翼に、家主である柾輝がリビングからひょいと顔を出して答えた。溶けるといけないからと早歩きで帰ってきたせいだろうか。手の中にある荷物はドライアイスに守られ未だ崩れる気配もなかった。これならもう少しくらいゆっくり来ても大丈夫だったかもなと思いながら勝手知ったる様子で冷凍庫の扉を開き、ぽっかり空いたスペースにそれを収める。この日のためにここ数日冷凍食品を整理したことを思い出した。からあげや冷凍ピザ。柾輝が自炊できることは知っているが、普段は一人で生活しているのだ。たまには手を抜きたくなることがあることくらい理解している。冷凍ピラフでもいいから食べていることがわかれば安心だった。
 自分が渡西したての頃、柾輝はよく食事について心配していたが(いわく、サッカーは何も心配することがない、対人関係は翼が負けるとは思えない、言葉の壁は本人の語学ですでに乗り越えたあとだろう、とのことだった)専門のトレーナーがついてからはそれもとやかく言われることはなくなった。心配をかけたいわけではないが、柾輝にあれやこれやと口出しをされることは嫌いじゃなかった翼は密かに不満だったのが、もういい大人なのだからと諦めた。ちょっと構ってほしくて不摂生なんて、プロにもなって笑えない。柾輝は柾輝はサッカーを本職とするようになった翼に引け目を感じるようなタマではなかったが、自分の想像もつかない世界で戦う翼へ余計な気遣いをしていたのだろう。今でこそ普通だが、昔は日本に戻ってきても「俺が作ったもんでいいのか、もっとちゃんとした飯の方が」と妙な遠慮を見せていた。そんな柾輝を「普段僕に食べさせられないような食事を作ってるわけ? 俺がお前の料理がいいって言ってんだからいいんだよ」と黙らせて彼の手料理を頂いたものだ。シーズン中ですら自炊はするというのに、オフシーズンにちょっとトレーナーの目を盗んで食事するくらいどうってことないのだと理解してもらうのに3年はかかった。冷凍食品を食べさせてもらったのは今年が初めてだった。

 「こっち用意できたぜ」

 リビングのローテーブルを片付けていた柾輝から声がかかり、翼は先程仕舞ったばかりの品をテーブルへ持って行く。去年も食べたこれは、やはり今年しかできないのだしと選んだものだ。皿や酒、グラスが並ぶ机の中央へ下ろしふたを取れば、昨年も見た例の品物が鎮座していた。

「…まさか今年も食べることになるとはな」
「よかったじゃん31歳」
「まあな32歳」

 サーティーワンのアイスケーキ。去年翼の誕生日にも食べたものだ。
 せっかくだからと年齢にちなんだこのケーキを誕生日用に買う人は意外と多いのだろうか。バースデー用のろうそくに「31」をお願いした時、店員が心得たように笑っていたのを思い出す。

「でも、思った以上に冷えるな…」

 ドライアイスは早々にキッチンへ片付けたが、部屋の真ん中に冷気を放つ物体が存在しているというのはなかなか室内の温度を持っていった。翼の誕生日は春だったのでそれほど気にならなかったが、毛布も厚手の物への変わっていくこの季節。考えていた以上に寒かった。おまけにふたりでワンホール食べようというのだから、身体の芯から冷えるのは避けられなさそうだ。
 せめて酒の代わりに熱いコーヒーを淹れようと一度下ろした腰を浮かせた翼の腕を柾輝が引く。

「な、こっち来ねえ?」
「…は?」

 こっち、と叩いたのは柾輝の膝だった。

「は?!」

 何度見ても柾輝はあぐらを掻いた自身の膝を指している。翼は咄嗟に口を動かした。

「ばかじゃないの? 俺子供でも何でもないんだけど? お前より年上だし身体も鍛えてる分重いよ? 何考えてるわけ?」
「あんたが子供でもなんでもないのも年上なのもそれなりな体重なのも知ってるっての。でもくっついた方があったかいだろ」

 そういうと柾輝は毛布を用意し自分の肩にかける。ほら、と腕を広げて翼を誘い込んだ。

 ――なんなの急に。最近こんなのめっきりなかったじゃん。
 年に何度も帰国できない翼だが、柾輝のことはもちろん好いているし大事に思っている。それはもちろん柾輝もそうで、だからこそ帰ってくると何度も抱き合うのだが、元よりあまりべたべたと触れ合う付き合い方はしていなかった方だ。急にそんなことを言われても――決して嫌なわけじゃないが――照れてしまう。
 だが柾輝は翼が飛び込んでくるのをじっと待っていた。三十路も超えたいい年だ。十代ならいざ知らず、こんないかにもな甘い空気、ここ数年じゃ床を共にする時しか漂ったことがない。それ故にベッドの中以上に恥ずかしかった。だけど悪い気がしないのも本当だった。だって、翼だって柾輝のことが好きなのだ。忙しい合間を縫って日本へ戻り、その間彼を独占したいと思うくらいには、十代の頃から変わらず、今だって愛している。
 照れと、見栄と、素直になれない心と、素直な気持ちと、誰もいない空間と、柾輝が目の前にいる事実。そして逡巡した。

「……寒いからしょうがないよね」
「ああ、寒いからな」

 翼の言葉を丁寧に肯定した柾輝の胸元にお邪魔すると、背中がじんわりと温もった。ちらりと上を見やると近い距離で柾輝が笑うのが窺える。わずかに照れの見えるその表情に気をよくして、自分だけが恥ずかしいわけではないのだと開き直った。それに恥ずかしいだけじゃないのだ。うれし恥ずかし、というやつだ。それが自分だけでないのなら、いいじゃないか。どうせここにはふたりしかいないのだし。

「ついでにあーんもしてやろうか」
「……おー」

 あ、照れた。露骨になった照れ隠しに翼の気持ちも盛り上がる。こんなおっさんふたりで、バカップルのようなことを。そう冷静に思う自分を頭の隅に追いやって、翼は「誕生日おめでと」と柾輝の口にアイスケーキを突っ込んだ。

今からいちゃついてもいいじゃないですか。
(年に一度の誕生日だし!)

柾輝さん31歳のお誕生日おめでとうございます!
(151123)