待ち合わせはあまり好きではない、と黒子はむっすりして顔をマフラーにうずめた。
たとえば、自分が先に着く。あとから来た相手は当然自分を探すはずなのに見つけられない。相手より遅れた場合でも、自分を待っているはずの相手は自分の到着に気づかない。
日常気づかれないのと、自分と会うつもりでいる人にスルーされるのでは意味が違う。人混みから自分を探そうと意識している相手の目にすら映らないという事実は、いくら黒子でも寂しいと感じた。
まあ、もう慣れましたけど。音にまでならなかった言葉が吐息に溶け混じる。
そう、もう慣れた。自分の影が殊更薄いことを自覚したのはいつだったか。今ではそれを武器に大好きなバスケをやっている。だから、今さら人並みに存在感が出てきても困るし、そんなことを望んでいるわけではない。
慣れてしまったのだ。
自分を視界に入れることなく通り過ぎる親しい顔に。自分に気づいた友人の顔が、親愛よりも先に驚愕をにじませることに。
だから、別にいいのだと、思っている。
「……黄瀬くん。僕はここです」
「うわっ、黒子っちいつの間に?!」
黒子は、自分の横にいながら待ち合わせ場所に到着した旨のメールを作成している黄瀬の背中をぽんと叩いた。
気づかれないことは、いつしか当たり前のことになっていた。
「ほんっとごめんっス黒子っち……!」
「だから、気にしていないと言ってるじゃないですか」
ずぞぞ。バニラシェイクをストローで吸い上げながら、今日何度目かわからないやりとりに呆れる。
「だって自分から誘ったのに気づかないとか俺まじありえないやつじゃないっスか……」
意気消沈し落ち込む黄瀬の誘いで、黒子は本日彼の買い物に付き合っていた。
最近、部活終わりに毎日のように楽しそうに青峰と1on1をしている黄瀬は、先日靴底が擦り減り思い切り転倒してしまったらしい。ぜひ教育係に新しい靴選ぶの手伝ってほしいと直々の指名を貰えば黒子も悪い気はしなかった。だって最近、本当に黄瀬は青峰に懐いていたから。彼のプレイに魅了される気持ちは一バスケプレイヤーとして、そして何より相棒としてよく理解できるが、やはり寂しく思うこともあった。教育係は僕ですよ、と思わず考えてしまうくらいには、この将来有望な新入りを自分も可愛く思っているらしい。
待ち合わせに気づかれないことは常であるし、黄瀬にだけ気づいてもらえると思っていたわけではない。体育館の中ですら自分を見失う黄瀬に、広い屋外で見つけてもらおうなんぞ考えてもいない。
だから別に気に病む必要はないと告げると、黄瀬は勢いよく顔を上げる。
「よくないっスよ!」
「よくないですか?」
「だめっス! 黒子っち、次は絶対、絶対俺のが先に見つけるから」
待ってて、と黄瀬があまりに真剣な表情を浮かべるものだから、黒子は気圧されて頷いた。
***
時計の進みがひどく遅く感じ、黒子は自分が出かける前から浮足立っていることにようやく気づく。
待ち合わせ時間まではまだ大分時間があるし、今から行っても早すぎることはわかり切っている。こんなに寒くては風邪を引いてしまいそうで、寒空の下長々と待ちたくない。しかし、待たせたくないというのもまた本心であった。
それに、たった数十分待つくらい、もう今さらという気もする。
黒子の制服はブレザーから学ランへと形を変えた。
次も一緒に出かけようねと言ったのに、あれから一度も叶うことのなかった約束。部活はもっと激しさを増したし、黒子はバスケ部を去った。だから、あのとき以来になってしまった。
どれだけ待ったことだろう。黄瀬と初めて学校や部活を抜きにして出かけたあの日、会話の流れで、何となしにした確証もない口約束。ただじっと信じていた。黄瀬はもう忘れてしまっただろうけど、黒子は忘れられなかった。
買い物に付き合ってほしいっスとメールが来たとき、黒子ははじめ、僕でいいんですかと返信しようとした。それを逡巡ののちに消したのは、黒子自身が彼と出かけたいと強く思ったからだ。黄瀬が覚えておらずとも、自分の中だけであろうとも、約束が果たされる気がした。
結局、家にいるのも落ち着かず黒子は待ち合わせ場所に向かい出す。三十分は早く着きそうだが、待つのもまた一興なのであると今の黒子は思えるようになっていた。
待ち合わせ場所に辿り着いた黒子は、驚愕の色を顔に――浮かべることはなかった。表情が乏しいとしょっちゅう言われる彼は、代わりにいっぱいまで目を見開いて驚く。
「黒子っち!」
黄瀬が、こちらを見ている。三十分も早くに来たというのに、すでにいて、しきりに辺りを見渡している金髪が視界に入ったときには、もう黄瀬は黒子の姿を捉えていた。
「早かったっスね!」
「き、せくんこそ、今なんじだと……」
ぱちくり。目を瞬かせる黒子に、黄瀬が照れ笑いのようなものを浮かべる。
「次は俺が絶対先に見つけるって言ったでしょ」
そのとき黒子に衝撃が走った。
だって、黒子は知っていた。あんなの、会話の弾みで行われたたわいもないものだ。リップサービスと置き換えてもいい。黄瀬が人付き合いの上手なことはモデルとして活躍するその姿からも窺い知ることができたし、あんな、すぐ忘れてしまうような、言葉を、どうして本気にして覚えているのか。
黒子が覚えていたのは、なんてことはない。ただ、黄瀬が好きだったからだ。好きだから、その場のノリだとしても、流れのついでだとしても、とても嬉しかった。それだけだ。
「俺、黒子っちとの話は全部覚えてるっスよ」
「……なんでですか?」
黄瀬はその問いに少しだけ困った表情を作り、ゆるゆると首を振ると黒子に手を差し出す。行こ? 黒子っち、と促されて、何ですかこの手はと思わなかったわけじゃないけど、嬉しかったので自分の手を重ねた。
途端に破顔した黄瀬に、黒子はどうしようかと少し悩む。
言わなければ伝わらない自信がある。自分が見た目に気持ちの出にくいことはよく知っていた。
待ち合わせは、今でもあまり好きではない。もう慣れたと言いながら、どうしていつまでも好くことができなかったのか、黄瀬がこちらを見て、笑って、手を振りながら名前を呼んだときに黒子はようやくわかった。
待ち合わせとは、こういうものなのだ。目的の人を見つけ、ぱっと喜ぶ顔を、黒子だって向けてもらいたかったのだ。驚いた表情を浮かべる相手に、しょうがないと思いながら、黒子も、とりわけ好きな人には、驚愕じゃなくて、親愛のにじむ優しい表情を見せてほしかった。
黄瀬はそんな黒子に気づいていたのだろうか。だからこそ、こんな、三十分も前から。
だとしたら、黒子は中学の頃には思いもしなかった、あれから自覚した新たな気持ちも黄瀬に知ってほしいと思う。
待ち合わせをするとき、決して気づかれなくて寂しいばかりではなかった。自分を待っている人の表情は、誰もが皆黒子を思っていて。自分のことを考えてくれているその顔を真横で見るのは、悪くない心地だったのだ。むしろ好きであったかもしれない。
だから。
「黒子っち?どうしたんスか?」
「……何でもないです」
自分の視線に気づき首を傾げる黄瀬にごまかす。
――気づいてくれたのは本当に嬉しかったけど。
君の横顔を盗み見ることができなくなったのは少し寂しかったり、そうじゃなかったり。更なる技の精進を黒子がひっそり誓ったのは、内緒の話だ。
ここにて待つ
(君を見つけるよ、すぐにでも)
蛇ちゃんへプレゼント!
(130110)