春らしい強い風に揺さぶられ、桜の木はまた一つ花びらを手放した。
地面を桃色に染めるそれを財前は妙に冷めた気持ちで見つめる。
手には花のコサージュ。卒業生の胸につけるはずのそれは、財前が一つ受付から拝借してきたものだ。

四天宝寺テニス部は、遠山と財前を除く全てのレギュラーが3年生である。
だから財前は、夏が明けた頃には必然的に新部長になった。何も2年が必ずならなければならない理由はないが、財前と遠山ではどちらが部長に相応しいか明白である。遠山に部長を任せられない理由は、“1年だから”とも言えたが、本当のところは“遠山だから”であった。
金ちゃんの面倒、よう見たってな、と前部長からこっそりと言付かった通りに、財前は遠山を――そしてテニス部を自分なりに引っ張ってきた。

3年が引退してから、当たり前だがレギュラーは変わった。
2年を中心に組まれたメンバーに、以前の顔は財前と遠山だけになって。
財前の思う“いつものメンバー”と過ごす時間は、目に見えて減った。

それでも。
それでも、財前はよかった。
だって、校内を見渡せば一氏と金色は相変わらず理解し得ない漫才をやっていたし、保健室に足を運べば用もないであろうに白石が我が物顔で居座っていたし、学校裏には石田や千歳の姿があった。
放送に耳を傾ければ、いつだって慌てたような声で緊急連絡を行う謙也を確認することができた。
だから、財前は何も不安に感じてなどいなかった。だって、みんないつも通りだったのだ。

「ここにおったんか」

聞き慣れた声に振り向けば、少し離れたところ、謙也がこちらを見つめて笑っている。
嫌でも目に入る筒には、彼がこの学校を去る証が仕舞われているのだろう。

「挨拶、終わったんスか」
「おん」

先程見かけたときに謙也はクラスメイトらしき者たち――だって、皆一様に胸に花を挿し卒業証書を持って笑っていた――に囲まれていて、財前はそっとその場を去った。
目の当たりにした光景が頭から離れない。

「てか、なんでお前花なんて持ってんねん」

不意に謙也が財前の手中のコサージュに気付き不思議そうに首を傾げた。
誰かから貰ったんか、と聞きかけて自分で慌てたらしい。誰や?!と詰め寄ってきた謙也に一瞥をくれる。
何を勘違いしたのか知らないが、卒業を惜しむ相手なんて目の前の一人しか――というわけでもないが、ひとまずは――いないし、この花は誰かからはなむけに貰ったわけではない。

「受付からパクってきたんスわ。謙也さんだけ卒業で持てはやされるのがシャクやったんで」
「シャクて何やねんシャクて!俺だけやないで?!」
「謙也さんだけムカつきます」
「理不尽!」

いつものように軽口を叩けば、謙也もそれに便乗し笑う。
あまりにいつものようだったので、これが“いつも”の光景じゃなくなることを思い出した。
明日から、なんてもんじゃない。財前は、言った瞬間これが常じゃなくなる言葉を知っている。
それを、謙也に伝えなければならないことも。

一つ上のこの先輩のことを謙也さんと呼んで、形だけの敬語を使って。
先輩だなんて、特別意識などしてなかった。
だけど、謙也は確かに財前よりも年上であった。その証拠に、こうして財前を置いていこうとしている。

受付から花のコサージュをくすねたって、財前は彼の隣に並べない。
どんなに背伸びをしたって、大人びていたって、一つ多く年を取ることなんてできなかった。

行かないでほしいと思っていた。卒業しないでほしいと泣きつきたかった。
実際、遠山はそうやって先輩たちに甘えたようだ。
それを羨ましく思っても、財前には到底できそうになかった。

先輩らが引退したって、財前はそれでもよかった。
でも、卒業は違う。
だって、いなくなってしまうじゃないか。
もう校内を見渡しても一氏と金色の意味のわからない漫才は見れない。
用もなく白石が保健室でくつろいでいることも、学校裏に石田や千歳が佇んでいることもない。
大した用でもないのに至急の連絡をする謙也の声を校内スピーカーから聞くことだって、もう。

「…謙也さんなんて、さっさと卒業してしまえ」
「おいコラ、」
「おめでとうございます」

呆れたようにツッコミを入れようとした謙也が、被せるように続いた財前の言葉に瞬く。
そうして、嬉しそうに目を細めてはにかんだ。

「おん、おおきに」

――俺を置いて行くくせに。
そんな男を、自分は送り出すのだ。
「行かないで」とも「寂しい」とも告げずに、ただ一言、好きと言うこともなく、祝いの言葉をかけて。

“おめでとうございます”とここを旅立つ彼の背中を押す言葉で、財前は自らの手で日常を閉じた。
どんな思いで財前が祝辞を述べたのか、謙也は知らない。


抉るつもりじゃなかったのに
(八つ当たって喚き散らして、そんなことも考えていたのに。
嬉しそうな顔を見たらそんなことは出来なくなってしまったよ)


友人夕ちゃんへのプレゼント、「謙光でシリアス」でした。プレゼント フォー ユー!
四天は他と違って2年が1人だけで。特に財前は金ちゃんと連携して頑張ろうってタイプじゃないので、3年生が笑って卒業してる中、財前は一人泣いていると思うのです
(120812)