“芥川先輩”が“慈郎先輩”になって。
“慈郎先輩”が“慈郎さん”になったけど。
慈郎は未だに、日吉を“若”と呼べないでいる。
慣れって怖いよなあ、と慈郎は湯飲みで暖をとりながらぼんやり考える。
“芥川先輩”から“慈郎先輩”へのステップを、日吉はひどく嫌がった。
そこをなんとか頼み込んで呼ばせたのだけど、しばらくは照れてあまり呼んでくれなかったものだ。
今でこそ何の戸惑いもなく名前を紡ぐが、最初はやっぱりおずおずとしていた。
先輩が取れてさん付けになったときは割とすんなり移行した気がするから、やっぱり名字と名前ではハードルが違うのだろうと思う。
慈郎も一緒だ。
ずっと日吉と呼んでいたから、“若”のハードルがひどく高く見えた。
付き合い始めたとき、中学を卒業したとき、先輩じゃなくなったとき。いくつも機会はあったのに、あと一歩を踏み出せなかった。
日吉は慈郎のように呼び方を強請らなかったから、なおさら。
キッチンでは日吉が慈郎のためにお茶を淹れていた。
予告もなしに日吉のマンションを訪れるのももう慣れた行為だ。
日吉の方も、毎度文句を言って来る前に連絡をしろと目を吊り上げるものの半ば諦めている部分もある。
日吉は順応能力が高いと言ったら、あんたのせいですよと怒られた。
「はいどうぞ。熱いから気を付けて下さいね」
日吉の家へ行けば、麦茶ではなく緑茶が出される。
お馴染みの言葉と共に差し出された湯飲みを受け取る際、さりげなさを装い呼んでみた。
「ありがと、若」
湯飲みに手を伸ばし、慈郎が掴んだ後も日吉の手が離れない。
返事もない日吉を不思議に思い顔を覗き込めば、意外な光景が慈郎の目に飛び込んできた。
日吉は、顔を真っ赤に染めて固まっていた。
「おーい、大丈夫?」
顔の前で手を振り意識を確かめると、へなへなと日吉が顔を伏せる。
「今まで……」
「え?」
「今まで一回も呼ばなかったくせに、なんで今更……」
眉を下げて、困ったような顔をしているのに。
慈郎には、嬉しくてたまらないという表情に見える。
「次から、若って呼んでEー?」
なんだ、ハードルって案外低かったんだなと、慈郎は若を抱きしめた。
ハードルを上げて。
(自分で上げて、いっそくぐって)
歌伊さんリクエストの「ジロ日」でした!
勝手に大学生設定にしてすみません…!しかしジロ日書くのすごい楽しかったです^^
歌伊さん、リクエストありがとうございました!
(111116)