楽しげに布団をたしたしと叩く慈郎に一応声はかけておくべきかと考えて、日吉は「消しますよ」と囁いた。尋ねたのではなく、電気を消すことはもう決定事項であったので確認をしただけだ。いきなり消灯しては、どうせ寝支度が済んでないと駄々をこねられもう一度つけるはめになる。だからとりあえず、返事を聞く気はなくとも伝えるだけ伝えておくことにした。

「えー、まだ眠くないCー」

 予想通り明かりを落とすことに難色を示した慈郎だったが、日吉は構わずスイッチを押す。一気に光の量が減り、枕元の小さなライトだけを頼りに日吉は布団の中へ潜り込む。いつものルート、部屋の電気のスイッチと日吉の布団の最短ラインを通れば、すぐ隣、慈郎の布団の端を踏んでしまいドキリとした。手や顔じゃなくてよかった。多少大回り気味に、机や椅子の位置を手探りで確認しながら進む。
 慈郎は早いと言うが、時刻はもう12時を回っていた。日吉の普段の生活リズムからすると、この時間はもう睡眠の時間だ。慈郎だって普段であればとっくに夢の中の時間であろうに、興奮しているのかまったく寝付く様子がない。

 せっかくの春休みだから、と慈郎は言った。お泊りしたい。うちでも日吉んちでもいいけど。
 日吉は朝から稽古がある。これは365日欠かさず行っていることで、特別な用さえなければ続けていた。特別な用とは、最近では修学旅行がそうであった。その日はさすがに代わりのメニューとしてランニングをこなした。
 つまりはその規模でないと、日吉が朝稽古を怠る理由にはならないのだ。先輩の家に泊まったとしても、早朝に一度自宅の道場に戻ることになる。それは慈郎や慈郎の家族にも気を使わせる結果となるだろうということは容易に想像がついた。
 だから消去法だったのだ。
 お泊りしたい。うちでも日吉んちでもいいけど。
 やりたいことが“お泊り”なのなら、日吉には慈郎を自宅へ招く他に選択肢がなかった。せっかくの春休みなんだからと言われたら、日吉も咄嗟に、確かにそうだと思ってしまったのである。ただでさえ普段からよくしてもらってる(どちらかと言えば自分はよくしている立場ではないかと日吉は思った)先輩。おまけにこれは言えないけれど、日吉は慈郎のことを好いていて。“せっかくの春休みなんだから”と“お泊り”が結び付かなくとも、二人きりで遊ぶ計画をちらつかせられたら思わず嬉しくて舞い上がって、まともに考えられるわけもない。
 日吉は、本当はその部分ではなくお泊りの方に目を向け「何も泊まりじゃなくてもいいんじゃないですか」と言うべきだった。言わなかったのは、否言えなかったのは、日吉だって楽しみにしていたからに他ならなかった。

 家族は、それはそれは喜んで慈郎を歓迎した。そのせいで日吉は少し、いや大分恥ずかしい思いをした。慈郎は日吉が普段からそのくらいできればいいのにとつい考えてしまうくらいよい先輩ぶりを発揮していて、それが家族の反応を余計あおったのだった。学校での日吉の様子から果ては慈郎の話まで、まさに根掘り葉掘りである。
 布団はてっきり客間に敷かれるものと思っていたのに当たり前のように日吉の部屋に用意されていた。並んだ布団は見慣れたものであるのに、見慣れたものであるからこそか気恥ずかしい。
 もう寝てしまおうと思った。ちょうど時間もいいくらいだし。布団を頭から被ってしまおう。
 ただ、慈郎の気分はすっかり修学旅行先の夜みたいになっていた。このまま好きな子でも言い合い始めそうな――その場合日吉は死んでも口を開けないのだけど――熱くテニスや青春について語り出しそうな、そんな高揚感の中に慈郎はいた。

「なんかさーちょっとわくわくしない?」

 電気を消し布団に戻った日吉は、まだぶつぶつと口を開く慈郎を無理やり黙らせ「おやすみなさい」と枕元の明かりまで消した。ちぇーおやすみ、と挨拶した慈郎も30秒は静かだったというのに、もう限界が訪れたようだ。スタンドに手を伸ばしスイッチをつける。

「しませんよ、俺はいつもの部屋なんですから」
「あー、そっか。天井が変わったの俺だけだね」
「まさか今さら枕が変わったら寝れないタイプとか言わないでくださいよ」
「大丈夫! 俺枕なくても寝れるタイプだから!」

 枕があろうとなかろうと慈郎がいつでもどこでも寝られる人種であることは周知の事実だと言うのに、何をわざわざ確認しているのか。
 やはり少しこの状況に緊張している。

「じゃあ大丈夫ですねおやすみなさい」

 再び電気を消す。日吉が寝返りを打って、布の擦れる音が静寂に響いた。

「…ねー日吉もう寝た…?」

 パチッ、まぶたに明るさを感じる。

「ああもうあんた寝る気ゼロじゃないですか!」

 スタンドライトを消しては点けて。就寝の挨拶をしたというのに、慈郎の目も口も閉じる気配がまるでない。元よりこちらのタイミングで寝ようとしたのが無理であったのだ。まずは慈郎を寝かしつけ、それから自分の睡眠を取るべきだった。

「だって眠れないCー…」
「あんたが眠れないとか明日は槍でも降るんじゃないですか」
「だって日吉と布団くっつけて寝るとか、ドキドキしないわけないじゃん」

 ――は。
 一拍、反応できずに返事が遅れた。何と返すのが正解だったのかもわからない。言葉が一つずつ頭の中に入ってくる。咀嚼に時間がかかった。
 “日吉と”“布団くっつけて寝るとか”“ドキドキしないわけないじゃん”?

 日吉の頭がすっかり動きを止めている間に(もうすぐ眠りにつく予定だったのだ、脳だって回転が遅くなっていた)「あーでも、起きたとき日吉が横にいるってのは楽しみかも」と慈郎が微笑みを零す音がする。

「うん、寝よ! ひよしおやすみ〜」

 パッと明かりを切られ、慈郎が布団を被る気配がした。もぞもぞと寝やすい体勢を作るよう動きやがて落ち着く。
 慈郎が静かになれば当然寝ようとしていた日吉も相手をしなくてよくなり、部屋に静寂が訪れる。この静まり方、慈郎もようやく寝ることに専念し始めたようだ。日吉だってもう寝返りを打てば寝る体勢に入れる。

「…待ってください今さら寝るとか。ちょっとさっきのどういう意味ですか慈郎先輩、慈郎先輩?」

 いやいややっぱり言い逃げは卑怯だ。
 今度は日吉が、夢の中に逃げようとする慈郎を引き止めるべくスイッチを入れた。

ちょっと待てそこに逃げ場はない
(一人早々と、夢の中へなど行かせるものか!)

(130322)