「一体何してるんですか」

呆れた声に下を見れば日吉がいた。
あ、と思わず緩みかけた手に慌てて力を入れて木の幹をしっかりと握り締める。下から「枝から手は離さないように!」と日吉の鋭い声も飛んできて、お前のせいだろ!と内心でベッと舌を出す。

日吉が木の上にいる向日を見つけたのはたまたまだった。
学園内の桜が綺麗に咲いていて、もうそんな季節かと足を止めた。振り散る桃色を辿って上を見れば、なんとまあ部活の先輩―――と言っても彼女は女子テニス部なのだが―――がいるではないか。ぎょっとして思わず声をかけてしまったのも仕方がないと思う。
元気が溢れ出ている人だから、練習だけじゃ物足りず木登りでも始めたのかもしれない。それか、あの驚異的な跳躍力で跳んだはいいものの木に引っかかって下りられなくなったとか。彼女はよく見れば制服で、理由はなんでもいいからせめてジャージに着替えてくれればよかったのにと舌打ちしたくなった。短いスカートがなんとも心もとない。

「なんでそんなところにいるんですか。下りられなくでもなったんですか」

手なら貸しますよ、しょうがなくですけどと憎まれ口を叩けば、ちげえよ!と怒鳴られた。
それと同時に揺れる枝先。慌てて向日が口をつぐむ。

「…先輩?」
「猫がいるんだ」

そう言われ向日の視線を辿れば、なるほど確かに猫がいる。
木の上で下りられなくなったのは向日ではなく猫だったようだ。

流れは大体わかった。向日はその猫を下ろしてやろうと木に登ったのだろう。そうして、まさに今から助けますと言う時に自分が声をかけ邪魔をしてしまったに違いない。
そうとわかれば大人しく見守ることにしようと、日吉は閉口して向日を見上げた。思うところもあったので場所も移動しておく。

ちょいちょいと手招きをして呼ぶが、猫は警戒したように背中の毛を逆立てる。じわじわとゆっくり近づいて、その後の行動は早かった。
元々向日は気の長い方ではない。手の届く範囲まで距離を詰めたら、一気に猫を抱え込んだ。
そのまま木を下りるつもりだったのだろうが、そんなことをして猫が驚かないはずもなく。暴れた猫に木を取られ足を滑らせた向日はそのまま落下した。

「うわあっ!」

真下にいた日吉に抱きとめられ、それでも衝撃を殺しきれずに日吉が後ろに倒れ込む。
倒れながらも向日の頭をしっかりと庇い、自分もうまく背中から転べたようだ。大して痛がりもせずに、口を開くや否や嫌味を漏らした。

「まあ、絶対落ちると思っていましたけどね。見事に落ちましたね」
「うるせーよ…」

落ちると思っていてそこにいたのか。
始めから自分を受け止めるつもりでいたのだとわかると、胸にきゅんと来るものがある。

しばらく大人しくしていた猫が、地上が目と鼻の先にあることに気づくとぴゃあっと向日の腕から抜け出し駆けて行く。
やれやれと、日吉が向日の肩を抱いて身体を起こした。

「今度から制服で木登りはやめて下さいよ。誰もいなかったからよかったものの」
「は?」
「スカートでしょう。ただでさえ短いのに」

言えば、向日がバッとスカートのすそを押さえる。

「ばっ…!」

そんなに恥じらうのならどうしてスカートを短くするのか。そもそも木登りなぞしてしまうのか。
真っ赤な顔で俯いた向日は、やがてそろりと視線を日吉に向け小声で問うた。

「…見たのか」

赤い頬のまま未だにスカートを押さえている向日にいじらしさを感じながら、そうだともそうじゃないとも言わず日吉は立ち上がる。
ズボンの土をはらい制服の汚れ具合を確認すると向日を見やった。

「ほら、行きますよ」
「待てよ!み、見たのか?!」
「その確認はどうしても必要ですか」

仮に見たのだとしたらどうするつもりなのだろう。
責任でも取らせる気なのかとからかえば、一瞬きょとんとした後ぼふんと爆発する。

「な、な、な…!」
「心配しなくても、責任なら見てなくても取るから大丈夫ですよ」
「はあ?!」

口をはくはくさせてフリーズする向日は、おかしさを堪え切れないとばかりにくつくつ笑う日吉を睨む。
むくれる向日に更に笑って、日吉はなだめるようにキスをした。

今更じゃないですか
(見ただの見てないだの)


遅れた
(120402)