誰かと誰かの喧嘩を遠くの音のように聞きながら、グリーンは文庫本の項を捲った。
少し暑くなってきた日差しのせいで、屋上に姿を見せる学生はいない。グリーンは少し奥まった場所で仰向けに本を構えて昼休みを過ごしていた。
「こんなところで寝てるなんていいの?」
不意に顔に影が落ちる。
日差しを遮った存在に文字から視線を移せば、見降ろすように少女が仁王立ちしていた。
「喧嘩は終わったのか」
「聞いてたの?悪趣味」
「後から来たのはお前たちだろう」
ブルーが、そんなことは知らないとばかりに肩を竦める。春らしい風が吹いて彼女のスカートのすそを少しだけ持ち上げた。
グリーンがわずかに眉を寄せて、ため息するように声をもらす。
「見えるぞ」
「安くないわよ」
軽く笑うブルーにグリーンが今度こそため息をついた。払うものかと声にこそしなかったものの、きっとそう思ったに違いない。
ブルーは寝転がるグリーンの頭の近くに腰を下ろすと、釣られたように吐息した。嫌なことを思い出したらしい。
「さっきの男、あたしのこと好きなんだって」
「だろうな」
「優しくされて、ずっと気になってたって言われた」
そこでグリーンが少し意外そうに本から顔を上げた。
「知り合いだったのか」
「さあ。愛想は振りまいたかもしれないけど」
一々覚えちゃいないし、と何でもないことのように言う彼女に、グリーンも興味を失ったみたいに再び文字を追い始める。そうか。かろうじて相槌を貰っただけマシだった。
「付き合ってくれって言われたから、あんたじゃ無理って言っただけなのに。逆ギレされちゃ溜まんないわ」
「そうだな」
「だいたいあの男、身体目当てよ」
「知らん」
「証明してあげましょうか?」
ブルーが右手を広げて見せる。そうしていたずらを思いついた悪餓鬼のように――それにしては随分色を知った顔で――目を細めた。
「これだけ貢げばやらせてあげるって言ったら、ちょろいわね」
「五千円か?」
「ちょっと、ブルーちゃんを舐めないでよ。五万よ」
グリーンはすでに相槌を打つのも億劫になっていて、何も言わずにブルーから視線を外す。返事がこないことなど常なので、ブルーもそれに関しては何も言わずに、五万でパフェでも食べに行きましょうよなんて笑っていた。
結果として、ブルーは五万円を手にグリーンの元へ来た。
グリーンは数日前のように屋上で本を読んでいて、そこに彼女が押し掛けてきたのである。
「“お金が先じゃないと嫌”って言ったら、あとは簡単だったわ」
そう言いながらスカートのすそを少しだけ持ち上げブルーはふとももを露わにする。自慢の脚力で逃げてきたのか、はたまた蹴ってきたのか。どこまでやらせたのかグリーンには皆目見当もつかないが、一線を越えていないことだけは知っていた。
「じゃあ明日の放課後、駅前の、ウルトラパフェに挑戦ね!」
「二人であれか」
げっそりとした表情のグリーンをブルーはおかしげに笑う。本当に甘いものが大ッ好きねとからかえば無言で睨まれた。それにも笑っていると屋上のスピーカーから予鈴が響く。あ、時間ね。
「もう五限が始まるわ」
「そうか」
「グリーンは?」
「いや、いい」
悪い生徒役員だこと。
ブルーはグリーンを茶化してから、屋上から下って行った。
屋上から降りるとき、時刻はすっかり放課後だった。
夕暮れに染まる校舎で、曲がり角の向こうから不穏な話し合いが耳に入る。声に聞き覚えはないが、出てきた名前は馴染みがあった。とすれば内容もすぐに見当がつく。
皆、ブルーに騙された男たちだ。
「ちくしょう…まんまと…だけ取られ…!」
「一度……目に合わせ……気がすまな……」
「全員で抑え……流石にあの……でも…」
胸の内がすうと冷えていくこの感覚を、グリーンは知っている。
彼のスイッチが入るときだ。
「誰をどんな目に合わせる相談だ?」
愚問を投げかけて、グリーンは角から飛び出した。
「おはよー。あら、グリーンどうしたのそれ。口んとこ切れてるわよ」
「転んだ」
「珍しくドジしたのね。そう言えば知ってる?昨日うちの男子生徒が何人か病院送りにされたんだって。不良との喧嘩にでも巻き込まれたのかしら」
「転んだんだろう」
悪い人だあれ。
(知らないのは一人だけ)
プレゼントできたらと書いたのに中身がどう考えてもプレゼント用じゃない
(120425)