年末年始は何かと忙しい。
 家のことだけでもてんやわんやする時期だというのに、年末から年始にかけてグリーンはあっちこっちのパーティーに顔を出し、お偉方と二、三言話しては肩を叩かれるという流れを繰り返していた。新米ジムリーダーというのはそれだけで話題性があるし格好の餌食である。遠目には同じように新入りのジムリーダーであるハヤトが、慣れていないのか周りの空気にギクシャクとした動きをしていた。グリーンよりも初々しさの滲むその姿は、上司としては思わず可愛がりたくなるものなのだろう。先程グリーンも少し話をした重役がさっそく声をかけに近づくのが見える。一人ずつ挨拶をして回っているようで、気さくで悪い人ではないのだがいかんせん無類の酒好きだ。あれは、もううんと飲まされるに違いない。グリーンだって断り切れなかったのだ。あの様子じゃ、あの片目の男は十中八九流されてしまうだろう。ご愁傷様、と唇を動かさずに同情した。
 カントー、ジョウトだけでなく遠くの地方のジムリーダーや四天王も招待されているらしいこの大きな会合は、各地方のポケモン協会により合同で正月気分も抜けてきたこの頃に思い出したかのように開かれる。オーキドはグリーンが幼い頃から毎年参加しているし、パーティー全体の雰囲気も決して悪くない。が、堅苦しいスーツは普段好まない恰好だし、ネクタイもいささか息苦しい。これも勤めと言えば勤めなのだが、やはり「どうしてこんなことを…」という気持ちを完全に払拭することは難しかった。
 遠くにマサキを見つけ、その隣に佇む女性の姿を認めると、グリーンの目はすうと細められる。オーキドナナミがマサキの婚約者であることは公式に発表されているし、オーキドもグリーンも認めている。だからマサキ宛てにナナミの分の招待状が届くことは何の不思議もなかった。元よりオーキドの付き人としてこのパーティーに参加することもあったナナミは何人かの関係者とも顔見知りで、知った顔に話しかけられては口元に手をやり微笑んでいる。我が姉ながら様になる。弟のグリーンの目から見てもうつくしい女性だと思う。だからなおさら、今自分の隣にいない人物が気になった。
 グリーンにも恋人と呼べる女性がいる。隠しているわけではなかったが、わざわざ公表したこともなかった。ストイックな雰囲気から、そういう人はいないと思われていたのだろうか。理事長や同僚から恋人の有無など別段聞かれたこともなく、恐らく知られていないのだろうということは容易に想像できる。
 だから、そもそも招待状が届く方がおかしいのだ。仕事の席に一度も同伴させたことのない恋人を、パーティーのときだけ連れて来てやりたかったなと思うのが間違いなのだ。そうわかってはいてもおいしい料理はどこか物足りなかったし、賑やかな雰囲気も楽しさに欠けた。だってここには恋人――ブルーがいない。

「……」

 ところで、グリーンはこの時少しばかり酔っていた。酔い潰れるほどではなかったが、空きっ腹に先程の重役に注がれたワインが沁みてしまったらしい。会いたいと思った。誰になんて言わずもがな。前述の通り、年末年始はパーティーへの出席で忙しなかった。全く会う時間が取れなかったわけではないが、それでもやはり足りないと思う。
 もう自分は充分、ジムリーダーとしての務めを果たしたのではないだろうか。挨拶も粗方済ませたし、宴もたけなわとまでは行かずとも、もうそろそろ失礼したって心象が崩れることもないだろう。要するにグリーンは、さっさとここを抜け出してブルーを抱きしめたくてたまらなくなっていた。
 思い立ったが吉日とばかりにくるりと身をひるがえし、グリーンの爪先は会場の出口の扉へと向く。くぐり抜けるや否や早足になるのを止められなかった。ネクタイを緩めながら、自分のために用意された部屋へ戻る。荷物はそんなになかったが、軽く整えてチェックアウトをして、それからピジョットでマサラタウンまで――。

「あら、早かったわね。お疲れさま」

 そんな段取りを巡らせながら自分に宛がわれた部屋へ足を踏み入れれば、そこには今まさに心に思い描いていた人物がいた。思考が追いつかない。自分は立って寝てしまうほど酔いが回っていたのだろうか。目をわずかに見開いたまま固まってしまったグリーンにあららと口に手を宛てたブルーは腰掛けていたベッドから立ち上がった。膝丈のドレスの裾がはためく。

「…どうやって来た?」

 ようやっと遠くにいっていた意識が戻り、ハッとしたグリーンが問いかける。誰かに入って来られたらまずいと考えて、すぐにオートロック式の鍵であったことを思い出した。やはりまだ少し動揺しているようだ。瞬きをして動揺を隠そうとするグリーンに、その癖を知っているブルーは音を立てて笑い部屋の隅でボールから出たまますやすやと寝息を立てているメタモンとプクリンを指差す。なるほど、どうやってこの部屋に入ったのかも誰に化けて忍び込んだのかも全て合点がいった。

「でも、もっと待ってなきゃかと思ってた。案外早く終わったのね」
「途中で抜けてきた」
「あら、どうして?」

 不思議そうに首を傾けたブルーは、グリーンの首元が緩められているのを見てきゅっと眉根を寄せる。公の場でグリーンがそんなルーズなことをするはずがないのだ。それに、抜けてきたと言うことはまだパーティーは終わっていないということで。「…具合でも悪いの?」心配げな声音にグリーンの胸は温かくなる。

「お前に会いに行こうと思ってた」

 今度はブルーの思考が停止する番だった。公人として出席している会を途中で抜け出してまで帰ってきて、自分の元へ行こうとしていただって? このお堅いジムリーダー様が? らしくないと思うのに、それをどうしようもなく嬉しく感じている自分がいる。おまけにそんな自分を繕うことも忘れて、ぽぽぽと頬に熱がともってしまったことにも気付いていた。
 うれしい。ぽつりと漏らした気持ちは、部屋の静けさに溶けて消えていく。だけどグリーンの耳にはしっかり届いていた。ブルーを見つめるその目は優しく細められていて、だからブルーは顔を上げられない。

「…ブルー」

 噛み付くようなキスを仕掛けられて、ブルーの重心が後ろにそれた。そのままベッドに倒れ込んでもなお唇を離さないグリーンに、ブルーはここでようやく彼の纏うアルコールの香りに気づく。気づくけれど、もうどうにもできなかった。ワイシャツもジャケットも掴めば皺になると後ろ手にシーツを握りしめるもグリーンのそれが重ねられ、導かれるように彼の首に腕を回す。
 グリーンは、この部屋がオートロック式でよかったと思った。思いながら、そんなことを気にかけられるなんて自分は案外酔っていないのかもしれないなどと考えていた。けれど思考はそこまでだ。ようやく解放した彼女の唇から熱くか細い息が吐き出される。

「グリーンあなた酔って、」
「さあな」
「さあなじゃなくて絶対…!」

 何か文句を言おうとしたのか、その口が大きく開かれる。だがグリーンの言葉の方が早かった。

「愛してる」

 たったひとことの先制攻撃に、ブルーは何もかも諦めてほだされた。だって嬉しかったから。抵抗するように強張らせていた身体から力を抜いて、しょうがないなあと覚悟を決める。その言葉、素面のときにも言ってよね。すっかり酔ってしまったらしい目の前の男に、ブルーは好き勝手に愛されることにした。

もっと言って。
(今から何回も。何十回も耳元で)


しーさんお誕生日おめでとう!
(140111)