ナギサの冬は寒い。海からの風が冷たくて、身体の芯から凍えてしまう。
 あいつは、小旅行のつもりだったから長袖を持ってこなかったのだと言った。
 すぐに帰る予定だったんです、と微笑むから、俺はどうして帰らなかったのかと問うた。しばらく黙り込んで、どうしてでしょう、と寂しげに笑うお前の方がどうしたんだと思ったけど、言葉足らずな俺じゃうまく聞くこともできやしない。
 ああ、これがオーバだったら違ったのか。うまく女の話を聞いて、慰めてやれたのか。
 どうしようもなくて、ただ、こいつの泣きそうな顔だけは見たくないと思ったから、俺は自分の上着を脱いで彼女に被せた。
 泣かせたくなかったのか、単に泣き顔が見たくなかっただけなのかわからない。
 自分の視界に入らなければいいと思ったつもりはないが、隠すように頭から上着で覆った。着とけ、と言えば何度も謝りながら上着を羽織った。
 そうして、縮こまってしまった彼女の長い髪を一房持ち上げ口付ける。もっと恐縮してしまった。
 なんだかその様子が面白くて、調子に乗った俺は砂糖のような言葉を吐いた。「お前の長い髪は好きだ」顔を赤らめて幸せそうに笑うと、じゃあ、伸ばしますねと女が言った。

 いつしか海辺に彼女はいない。
 遠い地方で生まれたと聞いていた。そこでジムリーダーをしているらしい。
 帰るなよとは言わなかった。帰るわけがないと思っていた。俺があいつに依存しているように、あいつも俺に依存していると思っていた。

 思い違いだったらしい。どれが、と聞かれると、全部。
 あいつは俺に依存などしていなかった。そして、俺もどうやらあいつに依存してはいなかったようだ。彼女が消えたあの日から、なにも変わらない日々が続いていた。
 白い砂浜を見る。彼女の足跡はもうない。サンダルで来てしまって、砂が足に痛いと笑った彼女も、自分の故郷も海のあるところだから、なんだか懐かしい気持ちがしてこの町が好きなのだと言った彼女も、どこにも見当たらない。

 どうしていいかわからない。でも、君のことが愛しかった。

君がいない。
(さようなら、もう会うこともないだろう)


(101206)