一時帰国の知らせに日吉は思わず瞬いた。
 赤と青の見慣れた手紙には帰朝の日にちと時間、それから日吉のマンション先に訪れる旨が書いてある。返信を要さないそれにはきっちり訪問時刻まで載っていて、その時間のぴったり具合に日吉は破顔した。

 跡部は海外留学をしている。
 家の都合もあり他の留学生に比べれば随分頻繁に帰ってくるものの、遠距離恋愛には変わりない。電話代は馬鹿にならないし、そう言えばあの金持ちは全額負担しようとするし――膨大な金額が跡部にとってははした金なのだとしても、日吉には扶養してもらうなどとても耐えられない――跡部から不定期に届くエアメールは日吉にとって大切なものであった。
 毎度届くその手紙を、いつものように専用の箱に仕舞い込む。些細な言葉一つでも覚えるくらいくり返し読んで、会えない寂しさを埋めようとしてることをきっと跡部は知らない。寄越される連絡がいくら不定期だろうとこの箱にちりが積もることはなくて、そのくらい頻繁に取り出しているのだと教えてやる気もなかった。
 日吉は箱の中の手紙をそっと撫でて、それから側に置いている便箋を手に取る。用件だけのエアメールに短い返事を書いて一緒に箱に閉じ込めた。
 跡部の手紙全てに返事を出すことはない。
 時折飛んでくる愛の囁きや甘い言葉にうまく返せる気がしないし、素直に綴った思いは恥ずかしくて到底送れそうにない。そういう類が届いた場合は、一応返信を書くもののどうしてもポストに投函できずにいた。

 日吉はふと時計を見て立ち上がる。今日はアルバイトの日だ。上がりは6時。
 跡部は今日帰ってくる。そうして待ち合わせは7時だった。



 跡部が日吉の一人暮らしするマンションに着いたのは、7時少し前だった。
 今日が日吉のアルバイトの日だと知っているし、終了時刻も把握済みだ。日吉の帰宅は7時頃になるだろうからと、本当にぴったりの――ギリギリの――時間に待ち合わせたのである。
 その理由が一秒でも早く会いたかったからだと言えば日吉は笑うだろうか。

 携帯が震え日吉専用に設定した着信音が鳴り響き、跡部は携帯を開いた。耳に当てると、駅を出たところだろうか、少し人の声がする。

「もしもし跡部さんですか? すみません、もう少しかかりそうなんで先に部屋に入ってて下さい」
「そっちは大丈夫なのか?」
「ええ、電車が少し遅れただけでもうすぐ家に着きます。けど、今日は冷えるみたいなので」

 風邪でも引かれたら困りますからねなんて憎まれ口のように言うくせに、配慮は本心からの心配だ。
 可愛くない日吉のその口に思わず笑みを零しながら、じゃあ先に上がらせてもらうぜとエントランスを抜けた。日吉の最寄り駅からならここまで10分もかからないはずだ。
 エレベーターに乗り込み階へ進むともう一度電話が鳴った。

「……?」

 今度はなんだろうか。鍵なら合鍵を持っているし、それは日吉も知っている。不思議に思いながらも出ると、とても焦った声の日吉が、走ってるのだろうか、上がり気味の息のまま早口で叩きつけた。

「やっぱり外で待ってて下さい!」



 駅からの道のりをダッシュしながら日吉は大慌てだった。
 冷たい風にさらされて体調を崩してはいけないと――もちろん日吉だって跡部がそんな貧弱だとは思っていないが、用心に越したことはない――部屋に上がって待ってもらうことにした。部屋は掃除しているし、何も問題は……――と思ったところではたと気づく。

 ――例の箱を仕舞い忘れた!
 日吉は先程戻したばかりの携帯を速攻で構え直し跡部に制止をかけた。たまらず足を速め、最後には全力疾走になる。

 玄関の鍵が開いていた時点で跡部が中にいることは明白だった。
 バッとリビングへ駆け込んだ日吉は、机の上に置き忘れていたあの箱が――中身が――跡部の手にあるのが見えてカッと顔を赤らめる。

「よお、随分早かったな」
「あ、とべさんも、おかえりなさい……」

 しどろもどろに挨拶するも、日吉は視線を跡部の手元から離せない。
 それに気付いた跡部が、ああ、と視線を落とした。

「俺からの手紙は全部別に保存か?」

 跡部がひらひらと手紙を振りながら意地悪く口元を歪ませた。
 おまけに、返事が来ねえと思えばこんなところに隠しやがって、と出せなかった手紙も手に取る。

「ちょ……!」
「俺宛てだろう?」

 折りたたまなかった便箋は、宛て名を確かめるなどあまりに簡単で。
 口ぶりから、跡部はきっと読んだのだろう。跡部宛ての手紙だ。読まないはずがない。

「俺様からの言葉にはすっかり慣れたもんだと思ってたが、」

 まだまだ可愛いとこあんじゃねえの、と跡部が笑ったので、日吉は声にならない悲鳴と共に顔を覆い膝から崩れ落ちた。
 恐らく全ての未返信便箋を読んだのだろう跡部が持っているのは、日吉がアルバイトに行く前、つい先程書いたばかりの手紙だ。
 言ってくれねえのかと跡部が催促するので、日吉はわずかな指の隙間から言葉を漏らす。

「……誕生日おめでとうございます。わざわざ今日帰ってきてくれて、ありがとうございました」
「ああ」

 満足げに目を細めた跡部に、まだまだ情けない顔色のまま日吉は敵わないなと笑みを零した。

ノンシークレット
(赤い頬のままだけど、隠すなんてもういいか。だって顔が見たいもの)


跡部様お誕生日おめでとうございます!!!
(121004)