「あ、荒垣先輩にお願いがあります」

 緊張した面持ちでそう告げた千冬に、荒垣も釣られて固い表情になった。
 荒垣の知る千冬はいつもニコニコと楽しそうに笑っているし無邪気にじゃれてくるし、それから少しばかり押しの強いところがある。お願いがあると改まるような人物ではないし、だからこそ荒垣は彼女の“お願い”に構えた。

「……なんだ」

 頭の中を次々に行き交う絶望的な“お願い”を想像し、荒垣は表情をなくす。
 自分の未来と彼女の未来を考え、距離を置かねばならないと再三自身に警告していたはずだ。なのに、いつの間にか彼女を懐に入れてしまい、大切に思うようになってしまった。
 そのツケが回ってきたのかと身構える。いらぬお節介を焼いたことをうっとうしく思われたのか。ウザい、とその声で言われたら、立ち直れない自信がある。
 他の誰に忌み嫌われても気にしたことなどないのに。
 それくらい、彼女を好きになりすぎた。

「あのですね」

 一瞬で粗方の悪い“お願い”を想像し尽くした荒垣が、静かに千冬の言葉を待つ。

「連絡先を教えて下さい!」
「……は?」

 思わず間抜けが声が漏れた。
 面食らった。意表をつかれた。
 何かと思えば、連絡先?

「……テメェは、紛らわしいんだよ!」
「え? え? 何がですか?」
「お前があんな顔するから、俺ぁてっきり、」

 てっきり? と首を傾げた千冬にハッと我に返り咳で誤魔化す。
 嫌われたのかと思ったなどと、どの口が言えるものか。

「……とにかく、連絡先くらいで大げさなんだよ」
「じゃあ教えてくれるんですか?!」

 千冬がキラキラと目を輝かせて荒垣を見上げる。いわく、いつもなら出会い頭に聞くのだそうだ。なのに荒垣はタイミングを逃し、それからずっと聞く機会がなかったとのこと。
 断られたらどうしようと思ったら怖くてなかなか言い出せなかったとはにかむ。

 そんな千冬に少し胸が温かくのを感じて――荒垣は気付いた。

「……そういや、持ってねえ」
「へ? 何がですか?」
「携帯」

 教える連絡先がないことを、荒垣はようやく思い出した。



 昔は持っていたのだと言う。
 ただ、一度この寮を出てからことあるごとに連絡を寄越す真田を面倒に思い解約したのだそうだ。

「これなんかどうですか?」

 千冬が店頭に飾られている携帯の一つを手に取ると荒垣に見せる。
 暗めの赤は荒垣のコートとも合っていてぴったりに感じた。

「先輩にも似合いますし、あと、私赤が好きなので」

 私の趣味なんですけどね、と恥ずかしそうに笑う千冬が決め手になったことを、彼女は知らない。

 結局それをお買い上げして、更にはストラップなんかも買ってしまって。
 お揃いで付けちゃいますかと笑いながらされた提案は断ったが――だって、自分たちは恋人同士でもなんでもないのだから――結局色違いを二つ購入してしまった。

「いいか、やるけどぜってぇ付けんなよ」
「はあい」

 千冬は少し不満げだったが、それでも嬉しそうにストラップを握りしめる。

「じゃあ、アドレスと番号教えて下さい」
「ん? おう」
「私から送りますね」

 赤外線で送られた情報を登録し携帯を閉じれば、満面の笑みの千冬が目に入った。
 どうしたんだ、と怪訝そうな顔をした荒垣に気付いて、ごめんなさいと断ってから理由を話す。相変わらず破顔していた。

「私が一番最初ですよ、ね」
「あ?」
「先輩の携帯に登録したの」

 嬉しいと顔を赤らめて照れたように笑う千冬に、荒垣は釣られて頬を染める。バレないように説明書に顔を埋めて誤魔化した。

Tell me
(電話してもいいですか?)
(ああ)
(メールしてもいいですか?)
(いいっつってんだろ)
(あと、)
(全部いいから、いちいち聞くな)


(120303)